退院しました(1)

いきなり「退院した」といわれても何事?と思うので、15日の通院後の話をまず。

経過観察となり、自宅で椅子生活を続ける。風呂は湯船で背中を丸めるのが怖くてシャワーで済ませる。発作の発端が、背中の曲げ伸ばしのような気がするので、背中はできるだけ動かさないようにしていた。

19日の受診で撮影したレントゲンでは、あまり変化が見られない。急性の血気胸だと肺にさらに血が溜まるが、変化がないので、このまま吸収される事を期待して、さらに自宅静養となった。次は2週間後の2月1日を予約。

何がかわるわけではないので、相変わらずの椅子ぐらし。背中も、少しくらいなら後ろに倒しても眠れるようになったので、少し楽になったが、細切れ睡眠であることには変わらない。

うつぶせ寝も可能になった。これで、いろんな姿勢がとれるようになり、体のコリがいくぶん楽になる。背中のおそらく肋骨骨折の痛みと、腰の痛み、これは熱いような感じの痛み、この2つが強い痛みで、もらった痛み止めは6時間の間隔で一日4回復用していた。

静養中に、左足の膝が痛くて歩けなくなる。松葉杖が必要だったが、数日で杖は必要なくなり、痛みは消えた。松葉杖は自前で持っていたものだ。

そうこうしているうちに、トイレまで10歩も歩かないのだが、だんだん息が続かなくなる。往復すると息が上がってしまう。風呂(シャワー)も、洗い場の椅子に座ることでなんとか済ませられたが、立ったままだと息が続かなくなっていた。この頃に「おかしい!」と思うべきだった。

2月1日に整形を受診。レントゲンでは、右肺の8割から9割は白く抜けていた。血気胸が進行して右肺はほとんど機能していないらしい。どうりで少し動くだけで息が上がるわけだ。

整形から外科へ。呼吸器外科。

血中の酸素濃度が90を切っていた。呼吸困難とも言える数値らしい。

この血中酸素濃度は、ヘモグロビンの赤色を光で照らして測定しているようだ。測定している指先が赤く光っている。ヘモグロビンの量まではわからないみたいで、この後、値が同じでも息苦しさが変わってくるのだ。

緊急入院となった。まず、PCR検査。処置室を検査室として、先生と看護師さんが二人、防護服を着てシールドをつけて検体採取。鼻に綿棒のようなものを深く差し込まれた。痛み止めを飲んでいるせいか、痛みは無かった。それにしても、数分前は診察室で、マスクなしで会話していたのに、検体採取はマニュアルに従ってであろう、防護策をとっての採取だったのは、なんかおかしかったが、コロナ禍の昨今、しかたないのだろう。

病室の準備が出来るまでの間に、採血や整形の受診を済ませる。

採血で腎臓機能の劣化が見つかる。これは事故前からだが、造影検査をすることになり、造影CT検査も受けた。CTで肩から腰まで撮影しているので、左の腎臓がしぼんでいて機能していないのも判明。片方の腎臓が機能していないのも、結石で尿路が長期間塞がれていた事があり、結石は取り除いたが、腎臓はその時からほとんど機能していなかった。結石の痛みを感じない体質なので、処置が大幅に遅れたのが原因らしい。

CTのデータの画像を見せてもらった。その時、腎臓も左はしぼんでいる様子が写っていると言われたが、素人目にはよくわからなかった。

夕方、入院準備が出来たので、入院。着替えとかタオルは検査中に弟が看護師さんから必要品を聞いて、自宅や売店で揃えて準備してくれた。

翌日、CTの画像から場所を選定して、ドレンを胸に差し込み、中に溜まった液を抜くそうだ。

入院してもベッドでは眠れないので、ベッドに腰掛け、床上台につっぷしてうつぶせ寝で眠る。ベッドの背は70度まで起き上がるが、すぐ痛くなるので眠れなかった。

(つづく)