551HORAI_冷麺

551蓬莱の冷麺、初めてです。

食べてみました。盛岡冷麺とは違って、冷やし中華ですね。スープはあまり酢が効いてません。辛子が強いからその風味で美味しかったです。

その辛子、一袋では足りないので、豚まんなどから融通して2袋使いました。3袋でも良かったです。酢を足さなかったのは失敗でした。

2皿分のトッピングは、きゅうり2本とロースハム4連のうち3つ。煮玉子2個。カニカマ1パック。エビシュウマイ6個。右の写真の右に、ハムが少し写ってます。盛り付けが見苦しいので写真はパス。

2食入りが350円。スーパーにて2食178円の冷中ばかり買っていたので、少し割高感はありますが麺は美味しかったと思います。(あまり麺の味の違いはよくわかりません。)

豚まん

ヤマトのクール便で今日の昼前に到着。

紙袋も入ってました。冷蔵品ですが、とくに密封してはいないので、ダンボールの外にあの独特なニオイがしてました。店頭で購入したお土産品みたいに、まわりに遠慮したくなるような強いニオイはもちろんしてませんが、551だなと感じます。

豚まん10個入り。お店で蒸した物はふっくら膨らんでいて、右のレンジ用蒸し器のサイズみっちりなのですが、しぼんでいるようで、少し小さいです。

底に貼ってあるのは紙ではなく木の薄い板(キョウギ)です。最初にこのキョウギを剥がし、くっついた包子をこそいで食べるのが作法でしょうか。

レンジで温めたので、蒸し器で蒸したようなふんわり感はないですが、生地の甘みは強く感じました。

私は何も付けない派です。まあ、3個目からは辛子とウスターソースか醤油が欲しいですね。添付されている辛子は、納豆に入っているのと違って、鼻に来る辛さです。

醤油もソースも好きですが、今のウスターソースって美味しすぎです。記憶のソースは、同じメーカーでも、もっとチー、素朴な味で美味しかったです。辛子多目にすれば、どんまい。

シュウマイです。豚まんの餡は包子と玉ねぎがいい仕事をしているので、そのままが好きですが、シュウマイは辛子必須です。今日はウスターソースです。大ぶりなので食べごたえ十分。

豚まんもですが、昔よりはあっさりした味で、ニオイも抑えられているようです。牛丼も40年前のあの味、明日はホームランだ、というくらいの味だったのに、今のはあっさり味。時代でしょうか。

エビシュウマイ、初めて食べます。歯切れがぷりっぷりとひらがなで表現したい食感でした。味は焼売の後で食べたせいか、あっさりした感じ。ひょうちゃんのホタテも美味しいですが、このエビ味も美味しいです。

昼ごはんに豚まんとシュウマイを2つづつ、エビシュウマイを4個を食べましたが、少し多かったです。独特のクセが美味しいのですが、続けるとすぐ飽きてしまいます。でも、また無性に食べたくなる。まだいっぱい残っているので、飽きるまでには食べ尽くせると思います。

PS:冷麺も買ってみました。食レポは・・・気が向いたらアップするかもです。

551HORAI

小学校6年生の夏まで大阪の堺市に住んでいました。難波の地下で売っていた「豚まん」はお土産の定番でした。(他にも、ヒロタのシューアイスや南極バナナバーなど)

ただ、通販はやってなかったと記憶してました。蓬莱本館というお店が、同等品(?)の通販をしていたようですが、詳細は最近になってネットで調べた程度の知識です。

私は交通事故の後、最近になってやっとゴミ捨てとか100メートルほど離れた小さいスーパーへ買い物に行けるようになったばかりで、amazon通販とかよく使ってます。

amazonでなんとなく「551」で検索したら・・・ヒットしました。

試しにネットで検索すると、「551HORAI」というサイトがあり、通販もやってました。いつから通販はじめたのかな?

ところで、amazonでは豚まん10個入りが3400円です。

一方、551HORAIでは1900円でした。店頭でも1個190円。

amazonはチルド便の送料込みです。551HORAIは、10個入り2個までの送料は、愛知県へは950円でした。ヤマトの通常便の60サイズが930円なので20円は箱代相当でしょうか?クール便は1150円なので、クール便ではないようですが・・・

数年以上前ですが、京都駅の近鉄駅構内でも売っていたのをお土産に買って、近鉄特急で名古屋へ帰って来た事がありましたが、あのニオイは止む終えませんね。

早速551HORAIで購入しました。なんか久しぶりなので楽しみです。

PS 1900円+クール便1150円(中部)=3050円。なので、3400円でも妥当かな。北海道とか遠くならamazonの方が安いかも。

自賠責の解約

1月9日の事故でトリシティは大破・廃車になりました。

スクラップは保険会社が引き取る事となり、廃車手続きの書類の請求が来たのが3月の半ば。

書類は翌日には返送して、廃車処理が完了したのが3月末。ぎりぎり新年度の税金がかからない期日内に終わりました。

廃車の証明書をもらったので、自賠責の解約に今日行ってきました。

もっと早く行くべきでしたが、なかなか歩く自信がなかったので、今日まで後回しでした。

解約は保険会社の営業所でないと出来ないので、豊橋駅近くの営業所へ行ってきました。

印鑑を忘れました。期限シールはナンバープレートと共にスクラップと一緒だったので、手元にはありません。それでも、解約金の振込先口座と廃車証明書で手続きは完了。

自賠責の期間は4年。3年ほど残っていました。解約金は5500円ほど。振り込みは2週間くらい先だそうです。

今日は久しぶりに駅まで歩きました。1.3キロの下り。限界ぎりぎりでした。

豊橋駅も久しぶりでした。コンコースに「駅ピアノ」が置いてありました。誰も演奏してなかったのが残念です。

帰りの最後は、コミュニティバスを使いました。上り1.3キロを歩く自信はありませんでした。

退院後の通院では、駅までの往復はこのコミュニティバスを使っていました。1乗車200円。本数は少ないですが、重宝しています。

リハビリが必要かも

退院して1ヶ月。通院やゴミ捨てなどで外出も出来るようになった。自炊なので食事の用意や洗濯して室内だけど干したり取り込んだり。自宅の2階へも移動している。

入院中は、ナースステーション前までお茶を取りに行ったり、食事トレーをコンテナまで下げたり、30分のリハビリでは150m程度を杖無しで歩けるようになったりと、事故後の経緯としては動けるようにはなっていたが、実生活では役立たずのままの退院だった。

痛み止めはまだ手放せないが、痛みはだいぶ和らいで来たと思っていた。

ゴミ捨ては、月曜日から始めてみた。往復150mほど。少し坂になっていて、帰りはゆるい下りだ。まだ2回しかしていないが、朝8時過ぎにゴミ捨てした後は、昼までベッドだった。

今まで痛み止めで骨折部位や手術跡の痛みはコントロール出来ていたと思っていた。でも、身体を動かし始めると、痛みは復活した。ついでに、運動不足から筋肉痛とかも。

ゴミ捨ては、当然捨てるゴミを持っていく。重くは感じないが、肩や背中には、事故以来の負担だったようで、背中や右肩、腰、足首、大腿部、それに手術の傷痕まで痛みだす。朝飲んだ痛み止めは効いているのかいないのか。

整形外科でリハビリが必要かはわからないが、無理しない程度に身体を動かさないと、通常生活には戻れないようだ。無理しない程度の程度がわからんが。

腰骨のひび割れのせいか、動くと腰が痛い。胸ベルトを腰に巻いてみたら、少し楽になる。寝る時も巻いて寝ると、寝返りとかにも有効だ。

手術跡の疼痛、これは痛み止め以外に方法はないかも。8時間おきに飲んでも、痛い時は痛い。みぞおちの右側に板でも入っているような違和感と軽い痛みが続いている。気にしなければ忘れる程度だが、ふとした事で思い出す。不快だ。

背中の痛みは相変わらずベッドから起き上がる時が一番痛い。その痛みも、少しましになってきたようだが、そのかわり、持続時間が長くなった。トイレに往復したら感じなくなっていたものが、今はさらに続くようになった。もっとも、気がつけば消えているけど。そして、何か仕事をすると思い出したように痛い。

右肩は打撲を受けたようなのだが、どんな状況だったのかはわからない。気づいたら道路上に仰向けに倒れていたのだからしかたない。風呂の姿見で見ると、力を抜いて立つと右肩は左肩より下がっている。少し力を入れて右肩を引き上げる事は可能で、その際に痛みは無い。

右肩の痛みは事故直後からあり、うつぶせ寝してた時でも、右腕の動かし方や位置によって、肩が動くような感じで痛みもあった。見た目に肩の骨格が変形しているとは気づかなかった。戻るのだろうか?これ。

貧血も続いているし、深呼吸するとある程度でいきなり吸い込む呼吸が止まる感じがする。みぞおちあたりにつっかかるような感じがする。これが血気胸のせいなのか骨折や打撲のせいなのかはわからない。

事故の後、色々な痛みや症状が続いている。整形外科では皆自然治癒まかせ。それでいつ回復するのだろうか不安だ。半年で全快してくれるのか、何年もかかるのか。腰骨のひび割れは治療不要だとも言われているが、痛みがあるのは事実。今月末に整形外科へ通院するが、先生からは最後の通院になると言われている。CTで骨折部位などの確認をして、中核病院としての治療は終わりになる。必要なら転院先への紹介状がもらえるみたいだ。血気胸が起きなければ、事故後はそうなる予定だった。

その血気胸も、退院後に2回通院している。そのたびに胸のレントゲンはきれいになってきている。まだ下の方は白いままなのが気になるが、ある程度の回復で治療は終わると聞いている。

炎症の値も1以下に下がった。貧血は鉄剤をもらっているが、女性なら貧血気味という値だ。通院先は呼吸器外科。こちらも次回5/6の診察で、中核病院としての治療は終わるみたいだ。

転院して治療を続けるとして、いつまで続くのだろう。3割減だが、年金の早期受給を受けていて良かった。月6万円はもらえるので、無収入では無い。でも、しばらくの間、仕事はできそうもない。

全ての治療が終わらないと保険金はおりないそうなので、それまでどうやって生きていくかが問題だ。結局、治療は途中で諦めることになりそうだ。労災が無いので、健保が使えれば良いけど、実費だとつらいなぁ。

退院しました(2)

緊急入院の翌日、病室にて処置。ドレンの挿入は手術ではなく処置だそうだ。

上半身裸になり、左を下にして横になる。若干うつ伏せ気味になる。

痛み止めの注射、針が入る時と薬液が入ってくる時が痛いが、すぐ痛みはなくなる。

背中でなんかガリガリしている。肋骨の間に何かをねじ込んでいるようだ。

数分で処置は完了。あっけなかったが、吸引器につないだホースからは赤ワインのような液体が流れ、あっという間にボトルが一杯になった。

ボトルを交換してもさらに赤黒い液体は出てくる。目盛りで1.7リットルまで出た。ボトルは1.8リットルで一杯なので、3.5リットル出た勘定になる。

こんなに出たのに、レントゲンでは、まだ右肺下部40%はまだ埋まっているそうだ。

翌朝、レントゲン直後、立った姿勢から車椅子に座ろうとかがんだら、ホースにまた流れ出てきた。その後も少しずつ出ては来るけど、40%には程遠い。

ドレンの入り口を掃除する。血がマヨネーズとかマーガリンのように固まって流れないらしい。これ以上ドレンを挿れておくと感染が怖いので、ドレンは抜くことになった。

土曜日の昼前にドレンを抜く。火曜日に挿入しているので、4日入っていたわけだ。その間に出た量は4リットルあまり。レントゲンではまだ40%の詰まりはそのままだ。

血は一旦固まった後、自然に再度溶けるそうで、この後は自然治癒を期待していた。

ホースが取れたので、日曜日にシャワーを久しぶりに浴びる。さっぱりしたのもつかの間、その夜、気胸発作と思われる痛みに襲われる。やはり発汗と吐き気、胸の痛みなど、前回に似ている。視界はゆがまなかった。

で、結局月曜日に再度ドレンを入れるが、あまり液体は出ない。0.5リットル。

右胸に詰まった血糊を排除する為に、胸に切れ目を入れ、肋骨の間から胸の中の血糊を掻き出すという手術をする事になった。手術は全身麻酔で行われる。

コロナ禍で弟を病棟に呼べないので、リモート(テレビ電話)で先生と私と弟で会談。手術の説明と同意書へのサイン。

2月10日(水)に手術。朝、寝間着のまま手術室へ。術衣に着替えて手術台に寝る。麻酔のガスを吸ったあたりで意識はなくなる。

次に気づいた時、意識はあるが、体は全く動かなかった。何人かに体のあちこちを触られている感覚がある。ジップ放送が流れているのが聞こえる。しばらくして、14時の時報が流れた。

呼吸器がつけられていて、息苦しいぎりぎりの感じがする。今、針をさされたりしたら痛いのだろうか?などと考えているうちに眠ったようだ。目を覚ますと看護師さんが覗いていた。

11日だそうだ。丸一日眠っていたらしい。呼吸器が外される時、咳き込むかと思ったが、何もなく、口の中に液体がたっぷり戻ってきたが、そのまま吸引で吸われて何事も無かったように、普通に呼吸が出来た。

夕食は半分残した。両足の痛みが強くなってきた。

バルーンが入っているので、小便の心配は無いが、便意を感じてきた。

12日の朝食後、車椅子に移ってトイレへ行こうとしたのだが、足が痛くて立てないどころか足を床につけただけで痛い。

数人がかりで車椅子に移動。トイレでも数人がかりで便座に座る。

この日は車椅子のまま、看護師さんの休憩室のテレビを観ながら過ごすが、足の痛みでテレビには集中できなかった。

夕方、集中治療室から一般病棟へ戻った。個室だった。トイレ移動用の車椅子を用意してもらう。まだ一人では移動できないので、大便の時はナースコールして移動を手伝ってもらう。

両足首が腫れている。体重をかけるととても痛い。右は左より少しましだった。やがて、右足だけで片足立ち出来るようになったが、左足はまだ体重の半分もかけられない。

整形の外来を受診することになった。17日の午後だった。超音波で腫れた部分を調べる。水腫の液体を注射器で抜くという。麻酔も何もなしで、針を左くるぶしの内側に突き刺された。

痛みは足に荷重をかけるのにくらべると痛くないが、時々脳天直撃の痛みが来る。看護師さんから妊婦の呼吸法のような方法を指示され、ヒッヒッフーをやって痛みに耐える。

注射器1本めは失敗。何も採れない。2本目、黒っぽい液体を少し採取できた。

採取した液体は検査にまわされ、診察は終了。後日、偽痛風だと判明した。足を床につくと、何本もの針に刺されるような痛み。注射針1本の痛みなど及ばない痛みではある。治療は・・・自然治癒?つまり、様子見となった。

血液検査では炎症の値が25くらいあって、それを先生は心配していた。足の炎症の影響もあったみたいだった。その値が10を切った頃には、バルーンも外れ、トイレには杖を使うが一人で通えるようになっていた。

体重は、入院初期は114.4kg。ドレンで3リットル抜けた後だから117kgはあったと思う。入院から3週間後の2月24日は108.4kg。杖でトイレへ行けるようになり大部屋へ移動。手術後のドレンも抜ける。さっそくシャワーでさっぱりした。

1週間後の3月3日。体重は103.0kg。炎症の数値も5となり、3月4日に退院となった。

手術後は足の痛みとの格闘がメインだったようだ。骨折部位他の痛みが無かったわけではないが、足の痛みが強烈すぎた。

退院時、肋骨の骨折部位はあまり痛みは感じなかった。腰も、布団の折れ目がたまたま当たると熱い感じを伴って痛かったくらい。右肩は、寝たまま右手で何かを取ろうとすると、肩の筋肉が吊ったように痛むようになっていた。

レントゲンでは、まだ右胸の半分近くが白く抜けているが、血糊は洗浄済なので、こびりついて採れなかった血糊が影になっているのだろう、と楽観視している。

もらったプリントでは真っ白だが、CTの画像だと右胸の下部には隙間や薄いところもあるそうだ。

退院時、血液検査のヘモグロビンは320。ひどい貧血状態で、鉄剤を朝夕の食事の時に飲んでいた。これは継続。およそ5リットルの血液を失っているらしく、そのせいで、まだ血が足りなくて貧血なんだそうだ。この値は、1週間後の通院時には380と改善していた。週に+60だから、今週中には500付近の正常値になるだろう。

退院して3週目。先週整形の受診には電車を使って歩いて行った。その翌日は保険関係の書類を簡易書留を指定されたので、郵便局まで、コミュニティバスを利用して歩いて行った。2日それぞれ3000歩ちょっと。

歩き疲れのせいか、土曜日から左足首が痛くなり、杖がないと歩けなくなる。日曜日は大雨で気圧が下がったせいか、痛み止めが効かないくらいに痛かった。この時は足だけでなく胸の中の手術の傷や骨折部位なども痛みが復活したようだ。胸は退院後に時々疼痛がある。肺が広がる痛みだと耐えているがどうだろう。

今日は月曜日、昨日の痛みは和らぎ、やれやれだ。左足首は少し腫れてたが、風呂の水圧と温度でだいぶ楽になった。痛みの質も、炎症というよりは疲れで膝下の筋肉や筋が痛んでいるような感じに変わった。同様に右足首も少し疲れによる痛みが出てきたが、杖での歩行に支障はない。

手術までは横になって寝られなかったので気づかなかったが、手術後に横になって寝るようになると、起き上がる時、背中の真ん中とその両脇の背筋が痛むことに気づいた。最初は骨折の痛みかと思っていたが、どうも背骨も衝撃をうけて痛めていたようだ。

入院中は、起き上がる時にボキボキ派手に鳴ってたが、今は少し落ち着いたようだ。整形の先生曰く、骨折同様、衝撃でゆるんだ筋とかも自然と元に戻るそうで、これも自然治癒まち。本当に大丈夫なのか?

腰のひび割れは、退院前のCTでもあまり変化が見えなかった。整形的には治療は必要無いそうで、ほんとうに良いのかと不安だ。将来ここからパキッと折れたりしないことを祈りたい。

手の擦過傷は、カサブタが取れたあとは、うすい皮膚のまま現在に至っている。炎症の数値が20以上あった頃は赤黒く見えてたが、炎症が10以下だとピンクに見える。ここのピンクが暗くなったら、炎症が再発という指標になるのでは?と思っているがどうだろう。

2ヶ月以上も寝たきりのような生活だったので、元の生活に戻れるのはいつになることやら。貧血が戻れば、飢餓状態と言われた身体の状態も改善するだろう。体重は101.1kgと下がる速度も減って来ているので、多分血は増えて来たのだと思う。減量も必要だが、今は体力回復第一かな。

整形の受診は4月26日。おそらく最後になるという話だった。外科は4月1日。血液検査とレントゲン。血気胸はある程度の回復で完治扱いになると聞いている。どうなるのかわからないけれど、交通事故なので治療費は保険会社もちなので、いつまでも通院というわけにはいかないのかも。

障害というわけではないけれど、ある程度の不具合が残るという診断で治療は完了になるのだろうか。どうなるのだろう。

退院しました(1)

いきなり「退院した」といわれても何事?と思うので、15日の通院後の話をまず。

経過観察となり、自宅で椅子生活を続ける。風呂は湯船で背中を丸めるのが怖くてシャワーで済ませる。発作の発端が、背中の曲げ伸ばしのような気がするので、背中はできるだけ動かさないようにしていた。

19日の受診で撮影したレントゲンでは、あまり変化が見られない。急性の血気胸だと肺にさらに血が溜まるが、変化がないので、このまま吸収される事を期待して、さらに自宅静養となった。次は2週間後の2月1日を予約。

何がかわるわけではないので、相変わらずの椅子ぐらし。背中も、少しくらいなら後ろに倒しても眠れるようになったので、少し楽になったが、細切れ睡眠であることには変わらない。

うつぶせ寝も可能になった。これで、いろんな姿勢がとれるようになり、体のコリがいくぶん楽になる。背中のおそらく肋骨骨折の痛みと、腰の痛み、これは熱いような感じの痛み、この2つが強い痛みで、もらった痛み止めは6時間の間隔で一日4回復用していた。

静養中に、左足の膝が痛くて歩けなくなる。松葉杖が必要だったが、数日で杖は必要なくなり、痛みは消えた。松葉杖は自前で持っていたものだ。

そうこうしているうちに、トイレまで10歩も歩かないのだが、だんだん息が続かなくなる。往復すると息が上がってしまう。風呂(シャワー)も、洗い場の椅子に座ることでなんとか済ませられたが、立ったままだと息が続かなくなっていた。この頃に「おかしい!」と思うべきだった。

2月1日に整形を受診。レントゲンでは、右肺の8割から9割は白く抜けていた。血気胸が進行して右肺はほとんど機能していないらしい。どうりで少し動くだけで息が上がるわけだ。

整形から外科へ。呼吸器外科。

血中の酸素濃度が90を切っていた。呼吸困難とも言える数値らしい。

この血中酸素濃度は、ヘモグロビンの赤色を光で照らして測定しているようだ。測定している指先が赤く光っている。ヘモグロビンの量まではわからないみたいで、この後、値が同じでも息苦しさが変わってくるのだ。

緊急入院となった。まず、PCR検査。処置室を検査室として、先生と看護師さんが二人、防護服を着てシールドをつけて検体採取。鼻に綿棒のようなものを深く差し込まれた。痛み止めを飲んでいるせいか、痛みは無かった。それにしても、数分前は診察室で、マスクなしで会話していたのに、検体採取はマニュアルに従ってであろう、防護策をとっての採取だったのは、なんかおかしかったが、コロナ禍の昨今、しかたないのだろう。

病室の準備が出来るまでの間に、採血や整形の受診を済ませる。

採血で腎臓機能の劣化が見つかる。これは事故前からだが、造影検査をすることになり、造影CT検査も受けた。CTで肩から腰まで撮影しているので、左の腎臓がしぼんでいて機能していないのも判明。片方の腎臓が機能していないのも、結石で尿路が長期間塞がれていた事があり、結石は取り除いたが、腎臓はその時からほとんど機能していなかった。結石の痛みを感じない体質なので、処置が大幅に遅れたのが原因らしい。

CTのデータの画像を見せてもらった。その時、腎臓も左はしぼんでいる様子が写っていると言われたが、素人目にはよくわからなかった。

夕方、入院準備が出来たので、入院。着替えとかタオルは検査中に弟が看護師さんから必要品を聞いて、自宅や売店で揃えて準備してくれた。

翌日、CTの画像から場所を選定して、ドレンを胸に差し込み、中に溜まった液を抜くそうだ。

入院してもベッドでは眠れないので、ベッドに腰掛け、床上台につっぷしてうつぶせ寝で眠る。ベッドの背は70度まで起き上がるが、すぐ痛くなるので眠れなかった。

(つづく)

気胸・血胸・バストバンド

9日の事故当日は骨折無しで帰宅。

12日の通院時の検査で、肋骨骨折判明。痛み止めの処方のみ。肋骨骨折は自然治癒らしい。自宅近くの整形病院への紹介状をもらう。

診断書をもらい、警察へ。調書にサイン。病院での調書はなんだったのだろう。

帰りの途中で、バイクの残骸を見に行った。リアのショックは2本ともひしゃげて上のフレームとの取り付け部分でせん断。衝撃は大きかったようだ。レッカー会社に電話した弟の話では、この壊れようだと運転者はただでは済まないだろうと言っていたそうだ。この時は打撲だけだと思っていたので、なんか申し訳ないような気になった。

帰宅したが、背中が痛い。仰向けもうつ伏せも背中が痛いので、椅子に座って眠る。1時間ほどの細切れ睡眠だが、一日中座ったままなので、なんとか寝た気にはなる。

14日夜、胸の痛烈な痛み。21時半頃から1時ころまで。

汗が吹き出し、視界がぼやけ、吐き気と排尿感が強い発作の用な症状が22時、23時頃と、2回来た。

その後は小康状態。弟が電話で市民病院に問い合わせたが、搬送されても対処療法しか出来ないので、安定しているなら翌朝に来て欲しいとのこと。

15日朝5時に再び発作の症状で目覚める。

15日。市民病院へ。転院予定の整形専門医への紹介状を提出。

整形外科を受診。レントゲンとCT撮影。肋骨骨折は右の背中、1-5番が折れていた。

左前の胸骨の左、上から3番目付近も骨折して上にすこし持ち上がっている。

お尻の上の腰に大きな黒タンが出来ていて、その横の腰骨が左右ともひび割れのように折れている。

ただ、以上の骨折は自然治癒まかせらしい。

右肺に気胸と血胸が見られる。半分近く右肺の下部が白くなっている。血と浸出液が溜まっているそうだ。

事故から6日経過してこの症状なら、自然に吸収される事もあるので、経過を見るそうだ。血胸の兆候は12日のCTにも写っているらしい。見過ごされたのか、専門医でないとわからないのか。

19日にCT検査の予約。しばらくは整形通いみたいだ。

コロナ禍の影響だろうか。

最初の病院で骨折を見逃された。

さらに、血胸・気胸も判明。

そういえば、肋骨骨折が判明してもバストバンドは15日の市民病院までもらえなかった。140cmサイズという最大サイズだそうだ。

まあ、肋骨骨折は放置でも治癒するそうだ。

右胸の痛みが和らいできているが、そのかわり、腰とか腕に打撲の痛みが出てきた。腰は骨折してるし、右腕にはアザが出来ている。

むち打ち症状はほとんど無いので、頭は強く打たなかったみたいだ。

傷は無いが、左足首とスネもどこかへぶつけたようだ。

交通事故の怪我は本人でさえ、なかなか気づかないものなのかも。

診断書

土曜日、事故の日、は骨折は見つからず、手の怪我の処置だけで帰宅したのだが、今日はCTで詳しく調べて骨折が見つかった。

コルセットは・・・多分サイズが無いだろう。知人の時もサイズがなくて自然治癒となったと聞いた。

今日の検査では、CTの検査台に横になる時はそんなに痛みは無かった。起き上がるのは一人では無理で、手を引っ張ってもらった。

年齢もあるし、一ヶ月よりもう少しかかるだろうとの事。

帰りに警察署に寄って、診断書を提出。調書を作成しサインした。加害者は業務上過失致傷として裁かれるそうだ。

調書では、加害者の処罰を求めるか?という問があった。イエス・ノー・どっちでも、という選択肢。故意ではないだろうし、処罰は求めないとした。

まあ、事故に遭ったという実感がいまいちなせいもある。ぶつかられた記憶が全く無い。気づくと地面に転がっていて背中が痛かった。救急車を呼んで有るという言葉。事故に遭ったと思った、というかこの時やっと確信できた。

まだベッドでは眠れないと思う。でも、痛みはやわらいでは来ている。

保険屋とのやり取りも始まっていて、今後は何かと忙しいみたいだが、まだ痛みが強いのでなんかよそ事に感じる。

まだ事故直後なのに、と私は思う。でも、周りではそうではないのだろう。

交通事故もらう

土曜日、名古屋へ向かって23号バイパスを走っていた。

キャッチの高棚北インターから混み始め、西中インターの先で渋滞していた。

左車線の渋滞の後に追いついたので、停止しようとしたら・・・

気づいたら、路面に仰向けに転がっていた。

周りに人の気配がある。気づくと声をかけられるが、背中、とくに右の肩甲骨の下あたりが痛い。

息苦しいので、ヘルメットとネックウォーマー、メガネも取る。

女性の声で、「このスマホはあなたの?」と聞かれた。

首は動かすと痛いので、目だけで見る。黒い筐体に白いヒビが全体をおおっている。斬新なデザインだ。カラビナが自分のものと同じだったので、これが成れの果てなのだと思い、そうだと答える。

救急車を読んであると、女性の声がすると同時に、ヒザで頭を固定してくれているようだ。が、寒さ、痛み、緊張などで歯の根があわないくらいに震えていたので、あまり記憶がない。

男性の声で、「よそ見していたらぶつかった」と話しているのが聞こえた。後で警察に聞いたのだが、私のバイクは突っ込まれた後前の車につっこみ、3重の衝突事故で、結構大きい事故だったそうだ。

病院の帰りにバイクをレッカー屋さんへ見に行ったが、たしかに後はショックの上で構造は破断。ハンドルまわりのカウルもはずれていた。弟がレッカー会社に確認の電話を入れた時、この衝撃で運転手が無事とは思えない、と言われたそうだ。なんかすみません。

救急車は名古屋方面から来た。反対車線を通過し、西中インターでUターンしてくるようだった。

警察も来た。免許証の位置を伝える。キーはささったままのようだ。しゃべるのがつらい。

救急車到着。首を自分で動かすなと指示される。返事でうなずいていたせいか。

ストレッチャーに載せられる。背中の痛みが強いが、息は普通に出来る。

でも、酸素を吸わされる。酸素のせいか、呼吸は楽だが、返事がしずらい。

救急車のリクライニングは良くない。段差の度に背中が痛む。

どこかの病院についたようだ。天井に点滴用のフックが見えた。

ストレッチャーのままかな。小さいベッド。背中が痛くて身じろぎ出来ない。触診で大まかに骨折とか首周りの検査をする。大丈夫らしい。

家族の連絡先を聞かれたので、弟(同居)の携帯番号を伝える。すぐ連絡され、ちゃんとつながったようだ。しゃべるのは辛いので、電話にはでなかった。3時頃きてくれるらしい。今日は用事で朝からでかけたようなので、申し訳ない。

CTへ運ばれる。酸素ははずされている。頭と首のCTらしい。ストレッチャーの段差越えが痛い。

集中治療室に戻る。左そけい部から採血。シビンで採尿。

警察が来る。事故の書類にサインを求められたが、右腕は痛くて上がらないので、代筆でお願いする。右人差し指の指紋を押す。

この時に、3重の大きな事故だったと聞く。前後の車の運転者の連絡先、担当の警察官、レッカー会社のメモをもらう。

弟が3時に来るとつたえると、その時に連絡してもらってと警察官には言われた。

その後はレントゲンなのだが、混雑しているのでしばらく待たされる。

2時半頃に弟が来る。警察のメモをわたす。車へ着替えをとりに戻るついでに電話するそうだ。

レントゲンへ。もどると早々に検査結果のれくちゃーを受ける。

検査項目に重大な異常はないそうだ。尿検査で腎機能が引っかかったので、痛み止めはロキソニンではないものを処方するとのこと。

入院せず帰宅らしい。こんなに背中痛むのに。

痛み止めは座薬も非常用に混ぜてもらった。

帰る前に、両手の擦過傷の治療を受ける。手袋してなかったので、それなりに傷があるが、ひどいものは無かった。

治療はストレッチャーに座って受けた。右手をゆっくり引っ張り上げてもらい、なんとか座ることはできたが、洗面台まで歩くのは無理。

洗面器で手の傷を洗い、絆創膏を貼ってもらう。

治療が終わる。あとは帰るだけ。緊急外来に寄って処方箋と会計をすませるように言われたが、会計は後日保険会社とやり取りするそうなので、薬だけ。

数分で薬はもらえた。ゆっくりなら歩ける。トイレも手すりにもたれて用は足せた。

車の助手席に乗り、レッカー会社の駐車場へ。

大破したトリシティがあった。私は見てるだけだが、Xマウントとかウーバーバッグを回収。撮影も。

そして帰宅。寒いせいか緊張のせいか、震えがまだ止まらない。

首とか腰、腕、病院では気づかなかった痛みがいろいろ出てきた。

軽く食事をして、ベッドへ。

仰向けになれない。それでも無理やりベッドに仰向けに寝る。数時間はまどろんだようだ。

起き上がろうとしたが、痛くて起き上がれない。横になる時も結構痛かったが、体をねじると背中やアバラが悲鳴を上げる。

なんとかうつ伏せになり、ヒザからベッドを降りる事に成功。

どうも、背中をまっすぐより後に倒して仮眠すると、背中を起こす時にとても痛い。

こたつにうつ伏せだと、痛みでまどろむくらい。それでも、ちょっとは覚醒感があったので、4時過ぎに起床。

下着とか着替えは、床のものを拾うとか、パンツを上げるとか、どんな動作も背中に響く。

それでも、しばらく待つと、なんとか痛みは我慢できるようになる。ゆっくり立ち上がり、一応松葉杖、これは大昔に使ったもの、を使って移動。

なんとか移動してトイレも入れる。力んだりくしゃみしたりは痛くて出来ないけど、まあコロナ禍の中、入院せずになんとかなって良かったです。

連休明けに通院だけど、それまでに痛みがとれるといいなあ。